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zoom RSS 「ニート」のミクロ経済学 その1

<<   作成日時 : 2005/05/28 10:05   >>

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bewaadさんが、「『ニート』を騒ぐ連中は隗より始めよ」(http://bewaad.com/20050527.html#c12)でミクロ対策派に対する痛快な批判をされています。ミクロ対策より何より、まず第一に、労働需要を増やす政策を採るべきだというのがbewaadさんのご主張、ご提言です。

この対策の問題については、「ニートは救われるか?」で書いたことがあるのですが、私は、bewaadさんのご主張、ご提言には半分賛成です。

ということは半分は賛成しないということなのですが、その理由は二つあります。

まず、需要を増やすような政策を取れば効果が出ることは確かです。しかし、今の若年無業者(ニート以外の失業者、配偶者いる無業者も含みます。)は数が多くなりすぎています。彼らの失業を解消するには、相当な需要増が必要で、現実には、そこまでの措置は取れないのだろうと思われます。私の目には、政府にその覚悟はないというように映っています。

実は、若年無業者が大量に発生しているいう現実を見たくない、このとんでもない問題から目をそらしておきたい、(自分たちではなく)若年無業者本人達に責任があるのであって欲しい、構造改革を進めていけば、いつかは何とかなるという夢を見ていたい、夢にすがっていたいということなのかもしれません。もしそうなら、一部のニートと同じことなので、将に「隗より始め」てもらわないといけないのですが。

さらに言えば、若年無業者がどうなろうがどうでもいい、世間が騒ぐから、一見効果ありげな金のかからない対策をやっておこうと思っているのかもしれません。

この理由は、政策を実行できるか、実行する気があるかという問題で、政策の有効性問題ではありません。つまり、bewaadさんの経済的な分析、純粋に考えたときの処方箋として本質的な問題があるということを言っている訳ではありません。次の理由は有効性そのものの問題です。

第二の理由は、「若年無業者の一部は、ミクロ経済学が想定しているような経済人ではない。つまり、情報が与えられれば、速やかに、合理的な意志決定をするとは限らない、する能力を持っているとは限らない。」というものです。

伝統的なミクロ経済学、労働経済学では、次のようなことを自明の前提としてきたように思います。(100%の自信を持っているとは言えません。間違っていたらご指摘下さい。)

1 個人は完備性のある選好を持っている。
2 個人の選好は推移律を満たす。
3 個人は自分の選好を知っている。
4 選好は、ある程度の期間は安定している。
5 選好に基づき決定を行うことは、個人にとってなんら負担ではない。
6 個人は、選好に基づき速やかに決定を行う(行える)。
7 個人は自分の労働能力を知っている。

これらの条件を満たさないと、意志決定ができません。そしてこのような条件を満たしていないために無業である若者、あるいは中年一歩手前のプレ中年、若手中年がいるとすれば、ある程度需要が増えても、無業という状態は変わらないでしょう。

(つづく)

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
上記の意見、先方へのトラバになっていないようですが、トラバにしてはどうでしょう?
通りすがり
2005/05/29 11:27
>通りすがり様。ご指摘ありがとうございます。実は、TBに使用としたのですが、うまくできませんでした。どこかで手順を間違っているのだと思いますが、残念ながら、どこが悪いのか発見できません。申し訳ありません。
平家
2005/05/29 20:51
続きを先取りしてみましょうか。
たとえ希望がない、賃金が安い半端仕事であっても、やった方が特に決まっている。そこから別の展開が開ける可能性もないではない。なにより社会とつながりをもつことが必要である。
以上が合理的な判断です。
 しかし、香山リカ「就職がこわい」に登場する人たちは、仕事に自分の人格や存在意義まで負わせてしまって、「たかが仕事」と割り切ることができないでいるらしいのです。彼らにとって、「誰でもできる」「いくらでも交換がきく」仕事を選ぶということは、自分の人格を否定することでもあって、選択そのものをやめてしまうのでしょう。
 香山リカに言わせると、「仕事で自己実現なんかできないんだから、仕事がうまくいかなくても自己評価を低める必要はない」ということなんですが、それが不特定多数を相手に言っても、伝わらないんだそうです。
 村上龍の「13歳からのハローワーク」なんて本は、仕事に過大な期待を持たせるだけで、かえってまずいと香山は批判しています。情報を前に立ちすくむのではなくて、とりあえず何かを選択して、そこから一歩一歩上っていく作業が、キャリア開発というものではないでしょうか。
Inoue
2005/05/30 22:35
Inoueさん、コメントありがとうございます。面白いですね。
今回は、そういう具体的な議論をする方向には行かない予定です。
平家
2005/05/31 21:23
上記のInoue氏のコメントは、そもそも香山リカの著書にあるようなニートの場合、果たしてミクロ経済政策は有効なのか、という風に受け取ったのですが。このようなニート像は、内田樹氏が論じているようなニート像と同じであり(たぶん)、ここではそれが(経済)合理的な選択の結果であると主張されています。
http://blog.tatsuru.com/archives/000995.php
彼らが合理的な選択を行っている以上、ミクロ経済政策の効果は限られており、教条主義的な形態を取らざるを得なくなるでしょう。だからこそ、bewaad氏曰く「自発的に失業している人々を洗脳して働かせようなんていうのは自由主義国家のありようとして根本的に間違っている」ということだと思うのですが。
ただし、そうではない、例えば、教育から就業への移行の過程で「立ちすくむ」ような人達に向けたミクロ経済政策は意味があるだろうし、マクロ経済政策だけでは不十分との批判も成立し得ると思います。
rascal
2005/06/01 22:19
rascalさん。お久しぶりです。ある個人が合理的にある選択をしている。その選択が社会にとって都合が悪いからそれを変えたい、となれば、何らかの形で介入して価格を変えるか、個人の選好を変えるかどちらしかないでしょう。後者を洗脳と呼ぶことも可能でしょう。
問題は、彼らが合理的な選択をしているかどうかです。普通、経済学では、あるいは経済学者、経済学的思考になじんだ方は合理的な選択をしない個人を考えないので、盲点になってしまいます。そこで、少し考えてみたんです。
なお、選好を変えさせるというのが自由主義国家としておかしいかどうかは、また、考えてみます。
平家
2005/06/01 22:56

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