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zoom RSS 補完性の原理と二重行政

<<   作成日時 : 2008/02/19 21:53   >>

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「規制権限の分権と二重行政」について その2」に引き続いて

すなはらさんが、「続・規制権限の分権と二重行政」で、二重行政についての地方分権派の主張を、次のように要約されています。


「二重行政を解消しろ!」と叫ぶ人たちの議論は次のようになっていると思います。
1. 国の機関と都道府県の機関が「個別労働関係紛争の処理」という同じような事務を行っている
2. 国の機関と都道府県の機関が同じような事務を行うのは,組織や人員の運用において非効率
3. 都道府県の機関でできるなら,分権すればいい(専門性や人員が不足するなら国の機関から移譲すればいい)
まあ単純な議論といえば単純な議論ですが。しかし,この場合(それが良いか悪いかは別として)全国一律の基準というのはそれほど大きな問題とはされていなくて,地方自治体が各地域のニーズに合わせて「個別労働関係紛争の処理」という事務を行えばよい,という話になります。住民のニーズがあれば地方政府もそういう事務をちゃんと行うだろう,それで専門性や人員が足りなければ国の機関で従前仕事をしていた人を呼んでくればいいだろうと考えることになります。


国と地方自治体やコミュニティー家族の役割について、ヨーロッパでは「補完性の原理」ということがいわれているそうです。

この原理を日本に当てはめれば、家庭でできないことをコミュニティーがにない、コミュニティーでできないことを市町村がにない、市町村ができないことを都道府県がにない、都道府県ができないことを国が担うことになるわけです。これでうまくいくのかどうか、私にはよく分かりません。

しかし、先にあげた議論に与する方々は、この原理を信奉されているようです。そして、その具体的な適用の仕方として、この業務は都道府県、この業務は国という切り分けをあまり意識せずにやっているように思われます。でも、この原理の適用の仕方はこれでいいのでしょうか?

住民のニーズは多種多様で、無限に近いのです。すべてのニーズをすべての地方自治体が満たせるとは、とうてい考えられません。皆さんのすべてのニーズを満たしますといって、選挙に立候補するひとがいたら、眉につばを付けた方が良いです。なぜなら、地方自治体にも能力の限界と政策の選択の問題があるからです。すべてのニーズを満たすということは、能力が無限大であると妄想し、政策の選択を放棄しているのと同じです。

まず、能力の問題から始めましょう。東京都と、失礼ながら人口が少なく地元の財政基盤の弱い青森県、岩手県、秋田県、山形県、福井県、鳥取県、島根県、高知県、宮崎県などが、住民のニーズを満たす能力を、財政的にも人的にも同じように持っているとは考えられません。東京都並みのサービスを求める方が無理です。

余談ですが、基礎的自治体には、市町村と区分されているほか、特例市、中核市、政令指定都市と分化が進んでおり、これに合わせて都道府県が補完をしています。別な角度から見れば、同じ業務であっても、都道府県が行っていたり、市町村が行っていたりしているわけです。都道府県と国の間の補完のあり方を考えるなら、都道府県にも区分をもうけるという方法があるかもしれません。メンツの問題が大変でしょうから、特例都道府県や指定都道府県を作ることになるでしょうが。

閑話休題。

もう一つ、地方自治体による選択の問題があります。こちらは民主主義のルールというかなり思想的な問題に絡んで来ます。選挙で選ばれる地方自治体には首長や議員がいて、どのニーズを満たすか、満たさないかを決めています。理念的には、選挙の際に政策の基本方針、どのニーズを満たすことを優先し、どのニーズは満たさないかを住民に提示して選挙で地域の政策方向の決定をすることになっています。

「地方自治体が各地域のニーズに合わせて『個別労働関係紛争の処理』という事務を行えばよい,という話になります。住民のニーズがあれば地方政府もそういう事務をちゃんと行うだろう,」というのは、あまりに「単純な議論」です。住民のニーズは、聖域ではなく選挙を通じて選択と集中の対象になるのです。それこそ地方自治だと言っても良いぐらいです。

ちょっとした問題があります。もちろん実際の選挙では、何をやるか、何に力を入れるかだけが語られ、こういうことはやりません、こういう仕事からは手を引きますということは語られないのが普通です。(新幹線の駅を作らないと公約したのはまれな例です。)住民は、何をしないかの選択をしている、選択したという意識は持たないでしょう。また、実際には、これはやらないと決めるのではなく、新たな事業であれば新規予算を付けない、既存の事業であれば、徐々に行政が投入する人材、予算を減らしていき、行政サービスが密やかに空洞化されていくことになるのでしょう。

さて、いずれにせよ、このような形でニーズ相互の優先、後回し、無視が決まるとして(公約違反の問題はおいておくことにします。)、満たされなくなったニーズはどうするのかという問題が発生してしまいます。選挙が多数による決定であるかぎり、少数派というのは存在するのです。問題となるのは、普通、少数派のニーズでしょう。多数派、少数派の話し合いでということも考えられますが、話し合いで選挙に決着を付けるというのはいささかどうかと思います。

この場合の選択肢は、放置か、国による補完の二つでしょう。それほど切実な問題でなければ、地方自治の立場からは放置が正しい選択だと思います。放置という選択肢を明示して選挙が行われたのではないにしても、住民が候補を選んだことに代わりはないのですから。厳しすぎるでしょうか?しかし、それが一部の住民の問題ではあるが、彼らにとっては切実な、痛みの大きな問題であったらどうすればいいのでしょうか?一つの答えとして、国による補完という選択肢が浮かび上がってきます。

実は、労働相談の問題は、これなのではないかと思われます。労働問題で苦しむ人は、住民全体から言えば少数だし、多くの場合、行政に相談するまでのことであれば、かなり深刻な問題になっているのでしょう。解雇や労働条件の引き下げは、本人にとっては深刻な問題でしょう。18年度の実績はこちら(制度の説明もあります。)⇒http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/05/h0525-1.html

多くの道府県が労働問題から、静かに手を引いていく中で、国が予算と人員を投入し始めたというのが実態でしょうし、法律もそれに合わせて制定されたのでしょう。

この場合、最初に述べたこの業務は都道府県、この業務は国という単純な切り分けはできていません。というのは、地方自治体によってはある業務に力を入れているかもしれません。今後入れ始めるという可能性は常に存在します。(逆に、今、力を入れている自治体が手を引くという可能性も存在します。)そうなれば、国はそういう自治体ではこの業務を最小限度やルだけで済みます。他方、地方自治体のサービスが不十分で、国による補完が不可欠な場合もあります。この場合、いずれにせよ、外見的には二重行政になってしまいます。しかし実態としては、切実な問題に対しては、地方自治体の選択をベースに国がこれを補完することになるのです。

業務の市町村、都道府県、国への一律的な割り当て、二重行政の排除をすれば、かえって、補完がうまくいかなくなるのではないでしょうか?

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
sunaharayさんのところにコメントさせていただいたNKです。

エディタでコメントを作ったら字数制限に引っかかってしまったので、連投になりますことをご容赦ください。

「補完性の原理」については、そもそも用語の使い方として大きな問題があるのではないかと個人的に考えております。この「補完性の原理」が注目を集めたのは、EUのマーストリヒト条約に取り上げられたことがきっかけになっていますが、そこでは「the principle of subsidiarity」と書かれています。
http://europa.eu/eur-lex/en/treaties/dat/EU_treaty.html#0001000001
(旧条約です)

こちらに日本語訳がありますが、
http://eu-info.jp/r/sub.html
「補完性の原理」ではなく「補完性の原則」となっています。実務で法律をやっている方はご承知のとおり、条文で「原理」といえば例外が認められず、「原則」なら例外が認められるという用法にしたがうと、これはとても重大な違いです。
NK(労委)
2008/02/24 22:32
NKさん。ようこそ。どうぞ続けてください。
平家
2008/02/26 21:06
すみません。何度かコメントを続けようと試みているんですが、はじかれてしまうようです。もう少し工夫してみます。
NK(労委)
2008/02/28 22:21
principleという英語は、辞書では「原理、原則」と訳すことになっていますが、職業柄(?)これを単なる訳語の違いとして見逃すわけにはいきません。上記の日本語の解説をご覧いたければおわかりのとおり、
ECに権限が完全に委譲していない政策事項(参照)ついては、以下の条件にしたがってのみ、ECは権限を行使しうる(補完性の原則、EC条約第5条第2項〔旧第3b条第2項〕)。
(1) 加盟国が実施するのでは、ECの政策目的が十分に達成されないこと、かつ、
(2) 措置の規模または効果の面で、ECが実施する方がより良い成果が得られると考えられること(Case C 377/98, Netherlands v. EP and Council [2001] ECJ I-7079, para. 32)
というものであり、少なからず例外を許容している点からすると、「補完性の原則」と訳すのが正しい用語の使い方だろうと思います。
NK(労委)
2008/02/28 22:27
NKさん、ご迷惑をおかけしますスパム対策のどこかに引っかかっているのだと思います。一時公開保留になっているだけですので、1回書き込んでいただくだけで結構です。こちらで手動で保留を解除しますから。少し時間がかかるかもしれません。どうぞ、お続けください。
平家
2008/02/29 08:10
平家さん、お手数をおかけして申し訳ございません。
なるほど、それで2008/02/28 22:21のコメントだけ反映されてたんですね。了解しました。

お言葉に甘えて続けさせていただきますと、日本では、経済同友会が90年代半ばにマーストリヒト条約を引いたところからこの用語が広まったようですが、「原理」という言葉のイメージから「ヨーロッパでも採用されている『原理』なんだから、例外なくこれが正しい」という理解が広がっているように感じます。

ただ、
「補完性原理http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E5%AE%8C%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%90%86」
の項にもあるとおり、この言葉はそもそもキリスト教の考え方なので、経済学や法学的な観点からの検証にはなじまないのかもしれませんし、それが「原理」という用語につながっているとも考えられますが、そうであるならなおさら、地方分権という制度的な問題を考えるときに「補完性の原理」に依拠することは弊害が大きいように思います。
NK(労委)
2008/02/29 21:30
とりあえずこれで最後にします。
以上のような視点からは、平家さんが前半でおっしゃることはまさにそのとおりだと思います。また、地方が放置した事務を国が補完するためには、ある程度の二重行政は許容されるという後半部分も概ねそのとおりだと思います。

ただ、労働委員会が行う個別労働関係紛争処理については、都道府県労委が構成する全国労働委員会(全労委)連絡協議会の側から(意図していないとしても結果的に)二重行政を要求した経緯もあるので、後半部分のご指摘にはあまり当てはまらないのかなと思います。この点は行政委員会特有の問題もあるのかもしれません。

個人的には、小田中直樹氏による水町勇一郎著『集団の再生』の書評
http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/searchdiary?word=%bf%e5%c4%ae
にあるように、労働委員会を含む都道府県が集団から手を引いて個別にリソースを傾注するというのは現状認識を誤った判断に思われるので、sunaharayさんのところで最初にコメントしたような疑問をぬぐえないのですね。
NK(労委)
2008/02/29 22:36
>NK(労委)さん。
補完性の原理を広く捉えて、国民、住民の切実なニーズは国、地方公共団体、コミュニティー、家族のどれかが満たして行くようにしようということであれば、私は納得できるのです。ただ、その補完のシステムはきわめて柔軟でないと、補完ができないという結果になると思います。
労働組合というのがコミュニティーに入るのかどうか分からないのですが、これまでの企業別組合で満たせなかったニーズを個人加盟の組合(企業別組合も個人で加盟していることに変わりはありませんが)が満たし、それでも満たせないニーズを労働委員会システムが補完しているのかもしれません。集団の再生も必要でしょう。
システム設計の段階では、いろいろな可能性を残しておくことのほうがいいと思っています。
平家
2008/03/02 19:20
一週間経って自分のコメントを見直してみると、肝心なところをまとめ切れてないなと痛感いたしました。平家さんからいただいたコメントを含めて補足させていただきます。

補完するシステムというのはナショナル・ミニマムを前提とした考え方だと思うのですが、コミュニティなどの私的プロバイダーにそれを担うことを期待するのは、囚人のジレンマによる公共財の過小供給を容認してしまうことになり、結局のところ補完システムではナショナル・ミニマムが達成されなくなるのではないかと思われます。中井英雄(2007)『地方財政学』で議論されているように、私的プロバイダーがもろい存在であることに留意すると、民主的な手続きによってフォーマルな国あるいは地方の政府組織にナショナル・ミニマムのサービス供給を担わせることが必要でしょう。

この視点からすれば、国と地方による個別紛争処理の補完システムより、棲み分けを明確にして労働委員会は本来の使命である集団紛争処理に特化するほうが、資源配分の観点から効率的であろうと思われます。
NK(労委)
2008/03/02 22:11
さらに補足です。
問題は、ナショナル・ミニマムであったはずの集団的労使紛争の処理が、実際に利用されなくなっているという事態そのものにあります。これは、労働委員会の機能のマンネリ化と労働組合による集団的労使交渉そのものがマンネリ化してしまったことによって、労働委員会による解決が選好されなくなっていることの現れだと思われます。

しかし、現状が示すように個別紛争処理に補完という概念を導入してもこの問題は解決できないし、すべきでもないと思います。個人的には、労働委員会の本来の使命である集団的労使紛争解決にその機能を限定し、集団による解決へのインセンティブを与えて、労働者の集団化を促すことが一つの方策だろうと考えております。

少なくとも現状では集団的労使関係は都道府県が指導することになっていて、その経費が地方交付税に算定されている以上、都道府県にはナショナル・ミニマムを確保するという責務を果たす必要がありますし(これはトートロジーですが)、補完の考え方からしても各方面のメンツを立てた結果の二重行政には根拠が乏しいのですから、労委は個別から早々に手を引くべきではないかと考えます。
NK(労委)
2008/03/02 22:22

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