大学教育の基本的レリバンス

本田先生のブログ(http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060327)のコメント欄で哲学や文学のレリバンスについて問答が交わされていました。

大学でどのようなことを学ぶと、あるいは教えると社会に出て、どのように役立つかを明確にしないと学生が勉強意欲を持たなくなるという主張から始まった議論です。医学や工学などに比べると、哲学や日本文学ではそれを明確にしにくいという面があるのでしょう。

本田先生の回答にもそれなりの意味はあると思います。

しかし、横から割り込ませていただくと、私は、大学のどのような学部であっても、学生に社会人として意味のあるスキル、能力を身につける機会を提供することは可能だと思っています。

どのようなスキルかといいますと、その主張の根拠を明示して、自分の主張を明確に述べるスキルです。このスキルを身につけるのと同時に、自分の主張を述べるときには、その根拠を示さなければ、他人には理解してもらえないということも理解させる必要があります。

このような理解、スキルを持つことは、社会の中で生きていく上でかなり役に立ちます。この点では確信を持っています。

また、このような論理的な主張をさせる訓練というものは、教える側がそれを意識していれば、大学教育で特定の科目を教えるなかで、自然な形で実行できると思います。

レポートを書き方を示す、出させる、論述式のテストをする、口頭で発表させるなど機会はかなりあると思います。

哲学など人文科学系の学部は、むしろこういう教育に向いているのではないでしょうか。私自身は哲学を大学で学んだことはないので、確信があるわけではないのですが。

リベラルアーツ中心の教育をする大学があってもいいような気がしています。

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この記事へのコメント

hamachan
2006年04月10日 10:00
あえて、手厳しい言い方をさせていただければ、それは問題の建て方が間違っているのではないでしょうか。ここで言われているのはあくまで「職業的レリバンス」であって、そういう「人間力」的な話ではないはずです。いや、もちろん、そういう自己主張能力的なスキルは大事ですよ、でも、そのために哲学や文学をやると言うことにはならない。それは哲学や文学のそれ自体としての意義(即自的レリバンスとでもいいますか)に対してかえって失礼な物言いでしょう。それに、おそらく、ロースクールあたりで現実の素材を使ってやった方が、もっと有効でしょう。
hamachan
2006年04月10日 10:01
問題は、大学教育というものの位置づけそれ自体にあるのではないでしょうか。学校教育法を読めばわかりますが、高校も高専も、短大も、大学院ですら、「職業」という言葉が出てきますが、大学には出てこないんです。職業教育機関などではないとふんぞり返っているわけですよ、大学は。実態は圧倒的に職業人養成になっているにもかかわらず。
冷ややかに言えば、哲学や文学をやった人のごく一部に大学における雇用機会を提供するために、他の多くの人々がつきあわされているわけです、趣味としてね。いや、男女性別役割分業のもとでは、それはそれなりに有効に機能してきたとは言えます。しかし、もはやサステナブルではなくなってきた、そういうことでしょう。
2006年04月10日 19:42
hamachanさん、コメントありがとうございます。
お返事を、例によって記事にしましたのでお読み下さい。

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